熱田神宮の言い伝えや伝承を時代ごとに紹介しています。
このページでは奈良時代(710-794)のものをピックアップ。
楊貴妃のかんざし
熱田神宮には、傾城の美女として知られる楊貴妃(719-756年)の伝説があります。
唐の玄宗が日本を攻めようとしたとき、日本の神々が相談の結果、熱田大神が楊貴妃として生まれ、玄宗を思いとどまらせた、というのが伝説のあらましです。
安禄山の乱(755年-763年)によって楊貴妃がなくなると、熱田大神に戻って熱田の地に戻ってきたということです。
その後、海上の仙人の山(蓬莱)に楊貴妃がいると聞いた玄宗は、方士を派遣します。
方士は熱田が蓬莱と考えて春敲門を叩き、楊貴妃に玄宗の思いを告げます。
楊貴妃は、螺鈿の小箱と金のかんざしを形見として方士に渡しました。
蓬莱の伝承
なぜこのような伝承があるのかというと、熱田は、その景観から「蓬莱」とも呼ばれていたためです。
熱田名物の「蓬莱軒」の店名は、この蓬莱から取っていると思われます。
紀元前220年頃、徐福(じょふく)は、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて東方の「蓬莱(ほうらい)」の国へ向かいます。
数千人を率いて日本各地に上陸し、農耕や医薬、技術を伝えたという伝説があります。
蓬莱は、伝承では、東方の海に浮かぶ三つの山(もしくは島)とされます。
熱田の地は、当時は「あゆち潟」に突き出した岬になっていました。
おそらく、三つの山(もしくは島)に相当する景観があったのかもしれません。それによって「蓬莱」と称されるようになった、と思われます。
白居易の長恨歌
この蓬莱の伝承に、白居易の長恨歌の内容が結びついて、楊貴妃の言い伝えとなったのではないか、と考えられます。
伝承の時代背景
安禄山の乱の以前は、唐は文明の中心であり、日本は遣唐使を派遣して、積極的に唐の制度や文化を導入していました。
しかし、安禄山の乱以後は、唐は国力が低下して、軍閥的国家へと転換します。やがて遣唐使も廃止され、日本は内向きの制度国家へと変化していきます。
これが平安時代の文化へとつながりました。
この時代の流れが、伝承へとつながったのかもしれません。
楊貴妃の石塔
熱田神宮境内の清水社に、湧き水があり、その中に石が置かれています。
それが、かつて境内に存在したという「楊貴妃の石塔(五輪の塔)」の一部とも言われます(参考URL)。
楊貴妃の墓とも呼ばれていたようです。
清水社
また、清水社には平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した平景清の伝承もあります。