3人の公家

名古屋市瑞穂区の井戸田には、藤原師長や源頼朝にまつわる史跡があります。
鎌倉街道沿いということもあり、その他にも、平安時代にさかのぼる伝説が残っています。

1177年に、この井戸田の地に、[藤原師高](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%B8%AB%E9%AB%98)、藤原師経、藤原師平という3人の公家の兄弟が流されてきました。

藤原師高らが、比叡山延暦寺の末寺と紛争を起こしたためでした。

鹿ケ谷の陰謀

ちょうどその頃、平家打倒をもくろんだ鹿ケ谷の陰謀が平清盛に知られるところとなり、首謀者の一人、師高の父で後白河法皇の近臣だった西光は斬られました。

治承三年(1179年)の平清盛のクーデターによって、太政大臣の藤原師長がこの地に流されてくる2年前のことです。

師高塚

江戸時代に編纂された「尾陽雑記」という書物によれば、西光の息子である藤原師高、師経、師平の3人に対しても、平清盛による討伐部隊が派遣されました。

3人は、尾張の国の蚊野というところで、小熊郡司惟長らによって斬られました。

尾張の人が、河原に晒されていた3兄弟のなきがらを井戸田に運び、塚を3つ作って葬ったとのことです。

尾張名所図会には、その塚が掲載されています。

穂波小学校やブラザー工業のあるあたりではないか、と推測されていますが、現在は場所が不明とのことです。

Google Map


大きな地図で見る