熱田神宮の言い伝えや伝承を時代ごとに紹介しています。
このページでは平安時代(794-1185)のものをピックアップ。

平将門の乱

熱田神宮には、平将門(?-940年)にまつわる伝承があります。

935年頃、関東地方で「平将門の乱」、学術的には承平天慶の乱と呼ばれる武士の反乱が起きます。

平将門は、関東地方を支配下におさめ、「新皇」を名乗り、朝廷と敵対します。

平将門は、百足退治伝説の藤原秀郷 (俵藤太)らによって討ち取られ、乱は、二ヶ月くらいで収束します。

調伏伝説

反乱の調伏伝説や首の伝説などは、全国各地にあり、熱田神宮にも伝わっています。

反乱が発生すると、朝廷は、全国の神社で反乱の調伏を祈願します。

熱田神宮でも、呼続に七つの神をまつった祭壇を造り、神輿を運びますが、神輿に血のりが付着するという事件が起きます。

ちょうどその頃に平将門が矢に当たって死んだ、という知らせが後に届き、血のりは乱が平定されたお告げだ、とされました。

血のついた神輿は、現在の孫若御子神社のあたりにあった大福田社に収めたとの事です。

空海と守敏の伝承

天長元年(824年)に、西寺の守敏と、東寺の空海が祈雨の法力を競う、という「天長の祈雨」という出来事がありました。

熱田神宮の清水社の近くに、龍神社があります。
龍神社については、次のような言い伝えがあります。

天長の祈雨

京都市にある神泉苑は、桓武天皇が平安京を造営した際につくられた庭園です。この神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれます。

空海(弘法大師)は、守敏という僧と何事にも対立していたとされます。823年、嵯峨天皇から空海に東寺が、守敏に西寺が与えられました(西寺は現在は跡形もありません)。

「天長の祈雨」では、守敏が雨を降らせる竜神を封じ込めたため、空海がいくら祈願しても雨がふりませんでした。このとき、善女竜王という竜神だけは、守敏の封印から逃れていたので、神泉苑に勧請し、雨を降らせることができ、空海の勝ちとなったとのことです。

太平記によると、弘法大師は、茅と言う草を編んで竜の形にし、修法を行いましたが、修法が無事成就した後に、大きな竜となって熱田神宮に留まったという言い伝えがあります(原文はこちら)。

龍神社には、災害に際して、尾張藩主が祈願することもあったということです。

藤原師長の琵琶

藤原師長は、平清盛のクーデター(1179年)に巻き込まれ、太政大臣を解任されて、瑞穂区の井戸田の地に流刑にされました。藤原師長は、平安時代を代表する音楽家で琵琶の名手でした。

平家物語・巻3「大臣流罪の事」によると、藤原師長が熱田神宮で秘曲を演奏すると、熱田の神様も感動され神殿が大きく鳴動したとのことです。

そのおかげもあってか、師長は、翌年になって帰京することができたということです。

瑞穂区には、師長にまつわる伝承や地名がいくつか残っています。

参考URL:藤原師長の足跡

源頼朝の生誕地

鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147年-1199年)は、熱田神宮の西隣にある誓願寺のあたりで誕生した、とされています。

これには、それなりの根拠があります。

すなわち、源頼朝の母親は、熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘「由良御前」で、出産のために熱田神宮に里帰りしたとのことです。

熱田神宮の大宮司家は、元は尾張氏で、皇室ともつながりが深く、由緒のある家柄です。

頼朝が長男でないにも関わらず源氏の嫡男として扱われたのも、この家柄のおかげです。

また足利家の二代目・義兼も母方が熱田神宮の大宮司家なので、源頼朝とは従姉妹にあたります。

源頼朝も、熱田神宮を深く崇敬していたとのことです。

参考URL:源頼朝は名古屋人? 

誓願寺(熱田神宮の西隣)


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源義経の元服

「義経記」によれば、源義経(幼名は、牛若丸、のちに遮那王)が、金売吉次とともに奥州を訪ねる途中で元服したのが熱田神宮となっています。

他には、滋賀県竜王町の鏡の宿に泊まって自らの手で元服を行ったという説が知られます。

参考URL:鏡の宿

藤原景清伝説

平家物語でも活躍が語られ、壇ノ浦の合戦の後消息不明になった藤原景清(平景清、悪七兵衛とも呼ばれる)の伝説は全国各地にあります。

熱田神宮に隠れていた、という言い伝えもあります。また、熱田区内には景清社があります。

藤原景清については、眼病にまつわる伝承が良く知られています。

熱田神宮に隠れていたときに、日本最古の眼科専門の医療施設といわれる馬嶋の明眼院(海部郡大治町)で眼病を治癒させ、お礼に鎧を奉納したという話もあります。

脇差「痣丸」

熱田神宮には、痣丸(あざまる)と呼ばれる脇差があります。藤原景清が最初の所有者と伝わります。

池殿屋敷

平清盛に、源頼朝の助命嘆願をした池禅尼の池殿屋敷が、熱田神宮西の誓願寺の隣一帯にあったといわれます。このため、熱田神宮の「平景清」伝説も全くの創作ではないかもしれません。

場所

景清社:熱田区神戸町402
明眼院:海部郡大治町馬島北割114


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