ものづくり王国の原点
愛知県といえば、自動車産業などの「ものづくり王国」を思い浮かべる人が多いかと思います。
しかし、その技術文化の源流をたどると、実は繊維産業に行き着きます。
尾張地方では、弥生時代の麻布づくりから始まり、 「麻 → 絹 → 綿 → ウール」へと素材を変えながら、約2000年以上にわたり繊維産業が発展してきました。
そして現在、この地域は世界三大毛織物産地「尾州」として知られています。
この記事では、尾張の繊維産業の歴史を、古代から現代までたどります。
弥生時代:朝日遺跡の繊維文化
愛知県清須市と名古屋市西区にまたがる「朝日遺跡」は、東海地方最大級の弥生時代の環濠集落です。
ここでは、当時の繊維生産の痕跡が数多く見つかっています。
代表的なのが、
- 糸を紡ぐための「紡錘車(ぼうすいしゃ)*」
- 植物繊維を使った「麻糸」
- 織る前の段階の技術である「アンギン編み」
- 茜染めなどの染色技術
などです。
当時の主な素材は
- 麻
- カラムシ
などの植物繊維でした。
つまり尾張では、すでに弥生時代の段階で布づくりの技術と文化が根付いていたことが分かります。
古代〜中世
奈良時代
尾張地方では、弥生時代以降も、連綿と繊維業は継続していたと考えられます。
奈良時代になると、尾張の織物は国家レベルで評価されるようになります。
正倉院文書には、尾張国から朝廷へ
- 綾
- 錦
といった絹織物が納められていた記録があります。
室町時代:尾張細美
室町時代には、「尾張細美(おわりさいみ)」と呼ばれる極めて細い高級麻布が作られていました。
尾張細美は、後の時代の綿織物技術や、高級テキスタイル技術の礎となったといわれます。
江戸時代
江戸時代になると、尾張の主役は綿織物になります。
綿は16世紀頃、琉球から薩摩を経て日本へ伝わりました。尾張平野ではこの綿栽培が急速に広がります。
一宮周辺では
- 縞木綿
- 結城縞
- 寛大寺縞
などの綿織物が大量に生産されました。
また一宮では、三八市(さんぱちいち)と呼ばれる市場が開かれ、繊維問屋が急増します。
明治時代:毛織物への大転換
近代になると、尾張の繊維産業は大きな転換を迎えます。
きっかけの一つが濃尾地震(1891年)でした。
この震災で多くの綿・絹工場が被害を受けます。同時に、日本では洋装化が進み、ウール需要が急増していました。
そこで尾張の職人たちは、綿・絹から毛織物へ大きく舵を切ります。
これが後の「尾州産地」の基礎になります。
昭和:毛織物王国・尾州の誕生
尾張西部から岐阜県西濃地域にかけての繊維産地は、旧国名から「尾州」と呼ばれます。
一宮市を中心に、
- 紡績
- 撚糸
- 染色
- 製織
- 整理加工
などの工程が地域内で分業化されました。
つまり、尾州全体が一つの巨大工場のような構造が生まれたわけです。
ガチャマン景気
昭和初期には、「ガチャマン景気」と呼ばれる時代が訪れます。
織機を一回動かすたびに大きな利益が出るほど、毛織物が売れた時代でした。
現在:世界三大毛織物産地「尾州」
現在、尾州は世界的な繊維産地として知られています。
世界三大毛織物産地は次の3地域です。
- イタリア・ビエラ
- イギリス・ハダースフィールド
- 日本・尾州
尾州は日本の毛織物生産の約70〜80%を占め、 世界の高級ブランドにも生地を供給しています。
現在はウールだけでなく、
- 綿
- 麻
- シルク
- 化学繊維
- 複合素材
など多様なテキスタイルが作られています。
名古屋の繊維問屋街「長者町」
かつて名古屋中心部には、「長者町繊維街」と呼ばれる大きな繊維問屋街がありました。
江戸時代の「清洲越し」に由来する商人街で、戦後には、
- 東京・横山町
- 大阪・船場
- 名古屋・長者町
という日本三大繊維問屋街の一つになりました。
現在は問屋の数は減りましたが、
- レトロビル
- カフェ
- アートギャラリー
などが混在する文化エリアとして再生しています。
2000年続く「繊維の土地」
木曽川の存在
尾張が織物産業に向いていた理由は明確です。
尾張地方には、信州から流れてくる木曽川があります。
この川がもたらしたものは、
- 良質な水(軟水)
- 水運
- 肥沃な濃尾平野
でした。
繊維産業にとって、水質は決定的に重要です。 染色や洗浄など、多くの工程で水が必要になるからです。
この自然条件が、尾張を織物の土地へと育てました。
繊維技術そのものが強み
尾張地方を日本一の繊維産業の地にしたのは、自然条件だけではありません。
尾張の繊維史を振り返ると、一つの特徴が見えてきます。 それは、素材が時代ごとに変化している、ということです。
| 時代 | 主な素材 |
|---|---|
| 弥生 | 麻 |
| 古代 | 絹 |
| 江戸 | 綿 |
| 近代 | ウール |
つまりこの地域の強みは、繊維の素材ではなく、「繊維技術そのもの」だった、ということです。
弥生時代の麻糸づくりから始まり、現代の高級テキスタイルまで、尾張の繊維産業は、濃尾平野に2000年も続く、ものづくりの系譜と言えます。