もう一つの生誕地
源頼朝といえば、武家政権の鎌倉幕府の創設者として著名です。 しかし、その出身地が名古屋であることは、あまり知られていないかもしれません。
源頼朝の生誕地は、熱田神宮のそばにある誓願寺といわれています。
しかし名古屋市内には、誓願寺の他に、もう一つ、生誕地という説のある場所があります。
名古屋市瑞穂区妙音通の近くにある龍泉寺というお寺です。
瑞穂区の龍泉寺
「瑞穂区の歴史」によると、古代、ここには奈良時代の僧・行基の開基による「薬師寺」がありました。
その薬師寺は、笠寺の笠覆寺に匹敵する規模のものであり、江戸時代の「尾張名所図会」にも、日本三大薬師のひとつであったとされていた、と伝聞の形で言及されています。
亀井水
龍泉寺の前には、亀井水(かめいすい)という古い井戸があります。
龍泉寺の山号は亀井山ですが、この井戸の名前から来ているとのこと。
亀井水の案内板には、次のように書かれています。
「府城の南一里三十町(約7キロ余)本井戸田なる村あり。井水すべて清らかなり。名ある清水七ヶ所ばかりあれど、亀井という清水こそ、名高くうるはし」(尾張志)。龍泉寺山門の脇にある亀井水はまた、源頼朝の産湯の水を汲んだ井戸とも伝えられている。第二次大戦後しばらくの間名の通り、「亀」が水面をおおうほどに無数に生息していたものである。
亀井六郎重清
「瑞穂区の歴史」によると、龍泉寺の西側には、津賀田神社の祠官の亀井六郎重清の「亀井屋敷」があったとのことです。亀井一族は、このあたりの豪族だったようです。
津賀田神社は龍泉寺のすぐ近くにあります。
言い伝えでは、亀井六郎重清の母が頼朝の乳母を務めたとされ、また重清の孫が、代々津賀田神社の宮司をつとめた、とあります。
亀井六郎重清は、源義経の四天王と呼ばれ活躍した武将の名前でもあります。 しかしながら、それ以上の詳細は不明です。
龍泉寺の境内には,由緒ある古石が保存されています。 右側は、昭和58年まで残っていた大黒塚の大黒石です。 平安時代の原始五輪塔という説もあります。
藤原師長、藤原師高のゆかりの地
龍泉寺のすぐ近くには、源頼朝の誕生の三十年後、平清盛のクーデター(治承三年の政変)で、この地に流されてきた太政大臣・藤原師長が住んだ跡や藤原師高の塚の跡があります。
鎌倉街道
さらにこの付近は、「鎌倉時代の東海道」ともいえる、鎌倉街道沿いにもなっています。
もっとも、今となっては、龍泉寺周辺は往時の面影は無く、普通の住宅地となっています。
藤原師長や鎌倉街道については、関連記事で書く予定です。
津賀田神社
龍泉寺から、鎌倉街道沿いに数百メートルほど坂をのぼっていった場所には、津賀田神社があります。
神社の敷地内には古墳があります。
井戸田地区には、他にも古墳の跡が多くありますが、現在は住宅地になっているので面影はありません。
ネットで色々調べてみたら、津賀田神社も、源頼朝の生誕地とされる場所であると、18世紀の張州府志、19世紀の尾張志や尾張名所図絵に書かれているようです。
参考サイト:井戸田の大山車(津賀田神社祭礼)
訪問した感想
井戸田の地は、狭い路地のめぐらされた住宅地ですが、平安時代の伝説が色濃く残る土地です。
古代の流刑地でもあり、龍泉寺のすぐ近くには、太政大臣・藤原師長が平清盛のクーデターにより流されて住んだ場所があります。
師長は、津賀田神社に祈願して、無事京都に戻れた、という言い伝えもあります。
師長については、興味深い悲恋の伝説が残っているので、別の機会に書くことにします。
実際のところ、本当に源頼朝の生誕地なのかどうかは、管理人には分かりません。
神道では、お産が穢れとされていたことで、熱田の屋敷ではなく井戸田の亀井家で取り上げたのではないか、という説も考えられるかもしれません。
もっとも、井戸田から熱田神宮までは徒歩で数十分の距離ですので、「誓願寺」か「龍泉寺」か、どちらでも良いような気がします。
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