奈良時代の万葉集には、古代の年魚市潟(あゆちがた)について詠んだ歌が、3首掲載されています。
それぞれ、現代語訳を紹介します。
万葉集 巻3・272
桜田へたず鳴きわたる 年魚市潟(あゆちがた)
潮干にけらしたず鳴きわたる
作者:高市連黒人
現代語訳
桜田の方へと、鶴が鳴きながら飛んでいく。
年魚市潟はもう潮が引いたらしい。
鶴が鳴き渡っている。
解説
桜田は、名古屋市南区の旧地名です。
南区の桜田八幡社には、桜田勝景跡の歌碑があります。
「けらし」は、「どうやら~らしい」という推量を意味します。
干潟の広がりと、渡る鶴の声が印象的な歌です。
万葉集 巻7-1163
年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に
朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ
作者:不詳
現代語訳
年魚市潟はどうやら潮が引いたようだ。 知多の浦では、朝に漕ぎ出した舟までもが、沖の方へ寄っていくのが見える。
解説
知多の浦は、愛知県東海市や知多市付近の海浜です。
「あゆち潟」は、かなり広いエリアを示していたようです。
万葉集 巻13-3260
小治田の 年魚道の水を
間なくぞ 人は汲むといふ
時じくぞ 人は飲むといふ
汲む人の 間なきがごと
飲む人の 時じきがごと
我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし
作者:不詳
現代語訳
小治田の年魚道の水は、人が絶え間なく汲むという。
また、時を選ばず人が飲むという。
その水を汲む人が絶えないように、飲む人がいつでもいるように、
私が愛しいあなたを恋い慕う気持ちは、やむ時がまったくない。
解説
水を汲む人・飲む人の絶えない様子を、恋心にたとえた情熱的な歌です。
瑞穂区師長町には、尾張名水のひとつ「年魚道(あゆち)の水」と呼ばれる泉があったようです。
現在は、小さな古井戸と石碑があります。
年魚市潟(あゆちがた)とは何か
あゆち潟は、現在の天白川流域に広がっていた大きな干潟です。
万葉集が編纂された奈良時代においては、潮の干満で干潟が現れ、鳥が集い、舟が行き交う、いわば「海と陸のあわい」の空間でした。
あゆち潟は「自然景観」であると同時に、漁業・製塩・舟運の拠点となり、尾張国の経済と交通の場でもありました。
古代の尾張は「海の国」?
こうしたことから、古代の尾張は、あゆち潟によって栄えた「海の国」という性格が強く現れているように思われます。
例えば、当地を支配した豪族の尾張氏も、古代の航海・海人集団をルーツに持つ海部氏と同族関係にあります。
また名古屋という地名の由来も、
- 漁師を「なこ」と呼ぶので、漁師の集落の意味
- 海からの波が越えた土地の意味
といった海に由来する説があります。
その影響は現代にまで及び、名古屋港という日本一の港を擁する都市となっています。