天白川や天白区の地名の由来を調べてみました。
地史関連の本を見ると、なぜ「天白川」と呼ばれるようになったかは、はっきりしているようです。
天白社が元になっている
「緑区の歴史」という本によると、天白川の名前は、緑区の三王山という場所に、かつて山王社という小さな神社があり、その中に天白社という社があって、それが由来となっている、とのこと。
山王神社は、比叡山の東にある日吉大社日吉大社の別称で、神仏習合時代には山王権現と呼ばれたことに由来します。
「天白」の語源は?
しかしながら、「天白」の語源そのものについては、なかなか一筋縄ではいかない問題のようです。
というのも、「天白社」の正体が不明だからです。
天白社は、「天白信仰」に基づくものですが、この天白信仰についても、正体がよく分からず、研究者にも諸説あるとのことです。
というわけで、ネットや書籍などで天白信仰について調べてみたところ、たくさんの説が紹介されていました。
天白信仰に関する諸説
まずはwikipediaを調べてみますと、本州のほぼ東半分にみられる民間信仰で、その内容は、星・水・安産祈願など多岐にわたる、とのこと。
そしていくつかの説が紹介されています。
1. 星の信仰
天白とは、天一神と太白神から出たもので、星の神という説があります。伊勢神宮には、天白が星の神であることを示している「てんはくのうた」という神楽歌が伝わっています。
2. オシラサマ信仰
前述の「緑区の歴史」という本には、「てんぱく」と音読みされる以前は、おしら様(オシラサマ)と呼ばれた時代があり、それが大陸からやってきた道教と習合されて、天白神信仰になった、という説が紹介されています。
ちなみに、オシラサマはアイヌのシランパカムイだったと、梅原猛先生は説いています。
3. 渡来系の信仰
白髭神社が全国にあります。これは、古代の新羅系渡来人が、自分達の祖先を「新羅明神」として祭ったものが元になっているといわれます。「新羅(しらぎ)」は、「白(しろ)」に通ずるというわけです。
古代の有力氏族の「白猪(しらい)」氏も渡来系です。白猪氏から分かれた荒田井氏は、緑区鳴海の辺りに住んでいたようです。
「天白区の歴史」の著者は、渡来系の信仰説をとっています。
4. 風の神
民俗学者の柳田国男は、天白は「風の神」かもしれない、としています。
この説については実際の文章は確認できませんでしたが、「伊勢国風土記」の記述などから風の神とされる「伊勢津彦」を指しているかもしれません。
後述しますが、天白信仰の起源を「伊勢」の地とする説があります。
天津神が国津神から地上の国(葦原中国)を譲り受ける「国譲り」の神話において、伊勢津彦は伊勢を献上し、強風に乗って信濃(長野県)方面へと去った、といわれています。
5. 先住民族の信仰
今井野菊氏によれば、水耕農業民族に先立つ原始農耕民族の信仰ではないか、ということです。
今井野菊氏は、天白信仰やミシャグジ信仰の分布を作成しています。
6. 修験道から
江戸時代の国学者・谷川士清は、国語辞典「和訓の栞」で「伊勢国の諸社に天白大明神というもの多し。何神なるかを知るべからず。恐らくは修験宗に天獏あり。是なるべし」としています。
7. その他の説
その他にも、天白信仰の正体については諸説あります。
チベット仏教の大天白(ターテンパイ)から来ている、という説もあります。
「天白紀行」の説
上記と並んで有力とされるのが、天白は三重県の南勢(伊勢志摩)起源の信仰とする山田宗睦氏の説です。
wikipediaなどでも紹介されている山田宗睦氏の「天白紀行」を読んでみました。
山田氏の結論によれば、機織りを生業としたという伊勢の豪族・麻績氏の祖神「天白羽神」が天白の元ではないか、ということです。
天白羽神と伊勢の麻績氏
天白羽神は、「古語拾遺」の天岩戸に登場する神の長白羽神の別名とされます。
麻を育て青和幣(あおにぎて)を織ったという神で、麻績氏が奉仕していた神麻続機殿神社の祭神でもあります。
「天ノ白羽」は記紀(日本書紀と古事記)には登場せず、忌部氏の神話である「古語拾遺」に登場します。忌部氏は、ヤマト王権の祭祀などを担った古代氏族です。
「古語拾遺」では、麻績氏を忌部氏と同族であるように書かれています。
星の神?
山田氏は、伊勢神宮に伝わる「神宮神楽歌」の中の、「てんはくのうた」を紹介しています。
イヤ天はく御前の遊びをハ
イヤ雲をわけて遊ふなリ
イヤ星の次第の神なれハ
イヤ月の輪にこそ舞ひたまヘ
天白羽神は、機織りの氏族の神ですが、七夕伝説にもあるように、機織りと星は神話世界では関連が強くあるのかもしれません。
天白社には祭神を瀬織津姫とする社があります。
この瀬織津姫は、水と機織りの神、すなわち七夕伝説の織姫で、織姫星といえば、「こと座」のベガです。
隕石との関連も?
分布の西限にある志摩市大王町の天白信仰は、前述のサイトによれば、隕石に関係する、とのことです。
また、信州の天白信仰というページで紹介されていましたが、日本書紀の「天狗」、すなわち隕石に関わる可能性が指摘されています。
とすると、天白信仰は、大昔の隕石が元になっているのではないか、という推測も成り立ちます。
そういえば、天白社があったとされる名古屋市緑区の三王山のすぐ近くには、隕石に由来する星崎や星宮神社があります。
星神・香々背男
ここで思い浮かぶのが、日本神話に登場する星神・香々背男(カガセオ)です。
「国譲り」において、香々背男は、最後まで抵抗したとされます。 香々背男を平定したのは、機織りの職能を持つ倭文神・建葉槌命とされます。これは、伊勢津彦を伊勢から追放した後に、機織り氏族の麻績氏が勢力を張ったことと共通する構図のように思われます。
香々背男は、前述の伊勢津彦や、諏訪の建御名方神と同じく、大和朝廷による平定に抵抗した「まつろわぬ神」です。
大和政権に追われたまつろわぬ氏族は、星を信仰する民だったのではないか、そんな連想が浮かびます。
いつ頃、各地に伝播したか?
長野県に麻績村があります。
これは伊勢の麻績氏に由来しています。
麻績氏は、7世紀頃、(おそらく壬申の乱が原因で)ヤマト王権の支配から逃れるように、三遠地方(東三河・浜松)から天竜川沿いに信州へと移動したようです。
そのルート沿いに天白社が分布しています。
天白信仰は、この麻績氏によってもたらされたかもしれない、と「天白紀行」の山田氏はいいます。
あるいは伊勢と諏訪には、古代の交易ルートがあったのかもしれません。
天白信仰が伊勢より西にはほとんど分布していないことを考えると、追われるように逃げた、という解釈が当てはまるのではないか、と個人的には思います。
伊勢津彦や麻績氏の移動の理由や年代については、興味深いトピックですので、こちらの記事にまとめました。