名古屋市天白区内で、面白い散策コースがあります。
天白区の植田八幡宮から、山の頂にある稲葉山公園へ至る道です。
- 植田八幡宮(植田八幡宮古墳)
- 植田城址
- 稲葉山公園(栄久寺、全久寺、泉称寺)
地図
散策路の地図については、名古屋市のHPに紹介されていますので、こちらを参照してください。
植田八幡宮
植田八幡宮は、創建年は不詳で、応神天皇を祀っています。
神社は、植田八幡宮古墳という大型古墳の上に建てられているとのことです。
現在は、古墳の痕跡がわずかに残っているだけです。
境内は広く、立派な本殿、巨大な石の灯篭なども備えています。
また、大正天皇が皇太子だった明治41年に、愛馬「藤園」に御乗馬になった跡の記念碑も建っています。
植田八幡宮古墳は、尾張氏の墳墓?
植田八幡宮古墳は1,500年以上前につくられたもので、全長80メートルの大型の前方後円墳です。
熱田区にある白鳥古墳よりも大きいので、古代の尾張氏の墳墓といえるかもしれません。
「天白区の歴史」という本には、被葬者は「尾張針名根命」ではないかと書かれています。
尾張針名根命は、ヤマトタケルの副将軍で熱田神宮にも祭られている「建稲種命」の孫にあたり、天白区平針の針名神社に祭られています。
植田城址
植田八幡宮の近くに、戦国時代の植田城址があるということです。
しかし、調べると、民家になっていました。
城主の横地氏
近くの全久寺というお寺の解説によれば、1471年に、将軍・足利義政の命により、横地秀綱が遠州・横地城から植田城主となったとのこと。この時に築城されたと植田八幡宮の由緒にあります。
横地氏は戦国時代は織田家に仕え、姉川の合戦にも出陣したりで活躍したとのこと。
織田一族が尾張守護代を務めたのは1402年頃からですので、植田城は築城当初から織田方の城だったかもしれません。
本能寺の変の後、横地氏は徳川家に仕え、小牧・長久手合戦にも名前を見せています。
横地氏のお寺
すぐ近くの稲葉山公園の山腹に、全久寺・栄久寺という横地氏のお寺があります。
島田城と植田城の関係は?
天白川を挟んだ向かい側には、尾張国守護の斯波高経(1305年-1367年)が築城したと伝えられる島田城があります。
島田地蔵寺のすぐ近くに、島田城趾が残っています。
島田地蔵寺は1442年に、斯波高経の孫の樵山和尚が創建しました。
ということは、島田城は、植田城築城の時代も、斯波一族が領有していたようです。
島田城と植田城がどのような関係だったのかは、守護の斯波氏と守護代の織田氏との関係によると思われます。
それ以上のことは定かではありませんが、推測してみると、当時の天白区周辺の様子が思い浮かぶかもしれません。
稲葉山公園と3つのお寺
稲葉山公園や寺院は、上記の植田八幡宮から、ほど近い距離にあります。
稲葉山の斜面には、
- 栄久寺
- 全久寺
- 泉称寺
という3つのお寺があります。
この3つのお寺は、古くは現在の飯田街道(姫街道とも平針街道ともいう)沿いに建っていました。
天白川との関係
しかし200年ほど前の江戸時代、天白川の氾濫を避けるために、現在の稲葉山公園の山麓の斜面に移転したとのことです。
実際に寛政年間の古い地図を見ると、稲葉山に移転したことが分かります。
江戸時代以前の天白川は、たびたび氾濫を起こして、流路も変化していたとのことです。
植田城主・横地氏ゆかりのお寺
全久寺と栄久寺は、どちらも植田城主・横地氏ゆかりのお寺のようです。
そのせいか、名前が似ています。
全久寺
1471年、将軍足利義政の命により、遠州横地城から植田城主となった横地秀綱が建立。
栄久寺
浄土真宗。創建不詳。1480年、植田城主の家臣・室賀多門(永照法師)が伽藍を建立。
泉称寺
浄土真宗。創建不詳。もとは天台宗でしたが、1523年に改宗。
どのお寺も、戦国時代からある古いお寺です。
山寺の雰囲気のある散策路
栄久寺、泉称寺、全久寺の一帯は、名古屋市内にもかかわらず、どこか山寺の雰囲気があります。
歩いて回ると、かなりの運動になると思います。
栄久寺へ上る道。境内から、天白区内を眺めることができます。
稲葉山公園の山頂
3つのお寺を過ぎ、さらに山の上の方へ向かって登ると、稲葉山公園の山頂へ続く小道があります。
数分ほどで山頂にたどり着けます。
史跡はありませんが、眺めがなかなか良い具合です。
左側に東山のタワーが見える
夜景スポット
どうやら、稲葉山公園の山頂は、天白区内で有数の夜景スポットとして知られているようです。
ただ、周辺には駐車場がないので、車内から鑑賞することはできず、また夜の21時には照明が消えるとのことです。
稲葉山公園の名前の由来は?
稲葉山の名前の由来を調べてみましたが、分かりませんでした。
岐阜市の金華山の旧名称が稲葉山です。金華山の場合、稲葉山の由来は、山中に鎮座していた伊奈波(因幡)神社にちなむそうです。
まったくの推測ですが、岐阜市の金華山の旧名称が稲葉山ですので、雰囲気が似ているということで、そこから借りてきたかもしれません。
岐阜市の金華山も、夜景スポットとして人気ですし、眺めが良いだけでなく、麓に城主の居住地があるのも似ています。
また岐阜市の金華山と天白区の稲葉山は、どちらも織田家に関わりがあります。
江戸時代までは秋葉山と呼ばれていた
「稲葉山」と呼ばれる以前には、別の名前がありました。
寛政年間(江戸時代)の古い地図を見たら、稲葉山公園のあるところは「秋葉山」と書かれています。しかし、ここから2キロほど東の平針にも、秋葉山という小さな山があります。
また、かつてこの近くに権現山という標高73メートルの山があって、それがこの界隈で一番高い山だったようですが、現在は天白高校や宅地になっています。
というわけで、植田八幡宮(植田八幡宮古墳)、植田城址、稲葉山公園を巡る散策コースのご紹介でした。