吉宗と対立した「開放政策の名君」?
近年、尾張藩七代藩主徳川宗春を見直す動きがあります。
そのきっかけの一つとなったのが、2013年に出版された『徳川宗春〈江戸〉を超えた先見力』という著作です。
この本は、中日新聞などでも紹介され、従来の宗春像を大きく見直す内容として注目されました。
これまで宗春は、江戸幕府の政策に逆らって失脚した「問題のある大名」のように語られてきました。
しかし近年の研究では、むしろ革新的な経済政策を実行した先進的な政治家だったのではないか、という評価が強まりつつあります。
「暴れん坊将軍」の悪役だった宗春
徳川宗春という人物は、長い間かなり偏った形で知られてきました。
テレビ時代劇『暴れん坊将軍』では、
- 八代将軍・徳川吉宗に敵対する
- 陰謀を巡らせて天下を狙う
といった悪役的な人物として描かれることが多くありました。
また歴史書でも、一般的には次のような構図で語られてきました。
徳川吉宗
- 質素倹約
- 規制強化
- 中央集権化
- 幕政改革(享保の改革)
徳川宗春
- 規制緩和
- 派手な文化政策
- 放漫財政
- 経済失政で失脚
つまり、
「倹約の吉宗」 vs 「贅沢な宗春」
という対立構図です。
しかし近年、この見方はかなり単純化されたものだと指摘されています。
名古屋で高まる再評価
名古屋では、宗春を再評価する動きが続いています。
市民団体による「宗春ロマン隊」という活動もあり、
- 徳川宗春を大河ドラマの主人公に
- 名古屋の歴史的人物として発信
といった運動も行われています。
その背景には、宗春の政策を再検討する研究の進展があります。
実は「放漫財政」ではなかった?
宗春の評価で最も議論になるのが経済政策です。
従来は「派手な政策で藩財政を悪化させた」と説明されることが多くありました。
しかし近年の研究では、この評価には疑問が出ています。
宗春の政策は確かに
- 祭礼の奨励
- 芝居の許可
- 市場の活性化
など、当時としてはかなり開放的な経済政策でした。
名古屋城下では、
- 芸能
- 商業
- 市場
が活発化し、町は大いに賑わったと伝えられています。
そのため「尾張名古屋は城で持つ」と呼ばれる繁栄の基盤が、この時代に整ったとも言われます。
経済政策はむしろ合理的だった?
『徳川宗春〈江戸〉を超えた先見力』では、宗春の政策を近代経済学の視点から分析しています。
興味深いのは、宗春が常に緩和政策を続けたわけではないという点です。
当時、幕府は「元文の改鋳」を行い、貨幣供給を増やしました。
これは現代でいうインフレ政策に近いものです。
このとき宗春は、むしろ金融引き締めに近い政策へと転じています。
すでに尾張藩の経済が活発化していたため、さらなる緩和はバブルを生む可能性があったと考えられます。
また、元文2年に行われた多額の借入も、現代の金融政策でいう公開市場操作(売りオペ)のような役割を持っていた可能性が指摘されています。
つまり宗春の政策は、単なる「放漫財政」ではなくかなり高度な経済判断に基づいていた可能性があります。
宗春の政治理念
宗春は政治理念もはっきりしていました。
その象徴が『温知政要』と呼ばれる政策文書です。
そこでは
- 民衆の生活を重視する
- 人命を尊重する
- 社会を活気づける
といった思想が示されています。
この点から、宗春は単なる「豪華好きの殿様」ではなく、民生を重視する政治家だったとも評価されています。
なぜ失脚したのか
それでは、なぜ宗春は失脚したのでしょうか。
本書では、その背景として政治的要因を指摘しています。
宗春は、幕府が中央集権化を進める中で
- 朝廷を尊重する姿勢
- 京都文化への関心
を強く示していました。
尾張徳川家には
「王命に依って催さるる事」
という伝統的な姿勢があり、朝廷との関係を重視していました。
これは、「朝廷と幕府で争いが起きた際は、幕府ではなく迷わず朝廷に従う」ことを意味し、御三家筆頭の家柄でありながら、天皇への忠義を最優先する姿勢を示していました。
この姿勢は、幕府にとって政治的に警戒すべき存在と映った可能性があります。
つまり宗春の失脚は、単なる経済失政ではなく、幕府政治の内部対立の結果だったという見方もあります。
もう一つの宗春像
宗春を評価する研究は以前から存在しました。
1996年の著作『規制緩和に挑んだ「名君」―徳川宗春の生涯』でも、
- 吉宗の中央集権政策への対抗
- 地方経済の活性化
といった点が評価されています。
ただしこの本は、従来の宗春像をある程度前提にしながら評価する立場でした。
それに対し『徳川宗春〈江戸〉を超えた先見力』は、宗春像そのものを全面的に見直すという点で意欲的な研究と言えます。
尾張という歴史の舞台
尾張という地域は、日本史の中でも重要な役割を果たしてきました。
例えば
- 継体天皇の時代
- 壬申の乱
- 戦国時代
- 明治維新
など、日本史の転換点にしばしば登場します。
またこの地域からは
- 織田信長
- 豊臣秀吉
といった天下人が生まれました。
さらに鎌倉幕府を開いた源頼朝も、母方は尾張氏の系統とされています。
こうした歴史を考えると、尾張は単なる地方ではなく、日本史の方向を左右する地域だったとも言えるでしょう。
まとめ:宗春は名君だったのか
宗春の評価は、今も研究が続いています。
ただ少なくとも、
- 単なる浪費家
- 幕府に逆らった問題大名
という従来のイメージは、かなり見直されつつあります。
むしろ
- 経済政策の革新性
- 商業振興
- 文化政策
などを考えると、近世日本でも珍しいタイプの政治家だった可能性があります。
今後、徳川宗春の研究がさらに進めば、日本史の中での評価も大きく変わるかもしれません。
名古屋で進む再評価の動きは、その第一歩と言えるでしょう。
書籍情報
【詳細】
徳川宗春: 〈江戸〉を超えた先見力
北川宥智(著)
単行本: 224ページ
出版社: 風媒社 (2013/12/18)
【詳細】
規制緩和に挑んだ「名君」―徳川宗春の生涯
大石学(著)
単行本: 254ページ
出版社: 小学館 (1996/10)