尾張徳川家のお寺

昭和区八事の「八事山興正寺」は、1688年に天瑞圓照が開山し、尾張藩二代藩主・徳川光友以来、尾張徳川家の祈願所として栄えたお寺です。

この興正寺は、実は軍事的な砦としての性格を持っているといわれます。

八事山興正寺

守備に適した造り

たしかに、東門から境内に続く道は曲がりくねっており、守備に適しています。

また大日堂のある呑海峰は、付近の監視にも適しています。

位置的にも、飯田街道から名古屋の市街への入り口という交通の要所にあります。

興正寺が地域全体を見渡す砦の役割を果たしていた可能性もあります。

東門
守りに適した造りの東門

尾張藩と江戸幕府の微妙な関係

とはいうものの、興正寺を砦と考える場合、地理的に疑問符が付きます。

普通に考えれば、西から外様大名に攻められた際に、名古屋城から東へ逃げるための砦ということになります。

しかし、興正寺は、名古屋城の東側に位置します。

考えようによっては、江戸幕府から攻められた時の備えという意図もあったのかもしれません。

尾張藩と江戸幕府の微妙な関係

というのは、御三家筆頭の尾張藩と江戸幕府は、初代藩主・徳川義直の時代から必ずしも円滑だったわけではなかったためです。

徳川義直は、家康の九男として生まれ、学問を好み、儒教・尊皇思想に傾きます。そして、「朝廷と幕府が争えば朝廷側に味方せよ」と、秘伝の藩訓を尾張藩に伝えます。

幕末期の戊辰戦争で尾張が官軍側に付いたのも、それが影響していると考えられます。

興正寺には、

  • 名古屋城までの地下道がある
  • 尾張徳川家の埋蔵金が隠されている

といった言い伝えがあります。

この言い伝えは、尾張藩と江戸幕府の微妙な関係から生じた可能性があります。