山崎川から笠寺までの東海道沿い
瑞穂区の山崎川から南区の笠寺付近にかけての旧東海道沿いには、興味深い史跡が並んでいます。
史跡スポット
- 山崎城跡と安泰寺
- 熊野三社と松巨島の手洗い石
- 白毫寺(山崎砦、年魚市潟勝景跡、芭蕉の句碑)
- 湯浴地蔵、鉄地蔵と尾張六地蔵
- 鎌倉街道
山崎城跡
山崎城は、織田信長による「19ヶ条の折檻状」で知られる織田家の重臣・ 佐久間信盛の居城です。
wikipediaによると、佐久間信盛は、南区山崎、つまりこの付近の出身とのこと。
桶狭間の合戦後、山崎城の城主となりました。
佐久間信盛は、鳴海城主でもあったので、この山崎城は、鳴海城の支城だったのかもしれません。
「19ヶ条の折檻状」によって佐久間信盛が高野山へ追放された後、山崎城も廃城になったということです。
安泰寺
山崎城跡には、安泰寺が建てられています。
名鉄沿いの、見晴らしの良い場所にあります。
熊野三社
もとは、織田家の重臣・佐久間信盛の山崎城にまつられていたのを、東海道沿いの現在地に移したとのことです。
三つの社があるため、熊野三社と呼ばれます。
松巨島の手洗い石
熊野三社の境内には、松巨島松巨島の手洗い石があります。
1766年の年号が刻まれています。
松巨島とは、かつての笠寺台地は島であり、島の名前を「松巨島」と呼んでいたのが由来です。
大きな松が生えていたからその名前になったとのこと。
もっとも、wikipediaにあるように、中世までは、松姤社(熱田神宮境外摂社)のある熱田台地を指す地名だった、という説もあります。
白毫寺松巨島常夜灯
熊野三社の境内の常夜灯は、文政年間(1830年)のものとのことです。
白毫寺
山崎砦
白毫寺は、1571年に開基しました。
その前は、佐久間信盛が築いた「山崎砦」だったとのことです。
この場所はかつて、「年魚市潟(あゆちがた)」に浮かんだ松巨島という島になっていました。
白毫寺は、松巨島の北西部に位置しています。
寺の裏側が高台になっており、かつては見晴らしが良かったと推察されます。
白毫寺年魚市潟勝景跡の石碑と万葉歌碑
境内の奥に「年魚市潟勝景」の石碑が建てられています。
万葉集の、
「年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」
という歌が読まれた場所という言い伝えがあり、万葉歌碑もあります。
芭蕉の句碑
また境内には芭蕉の句碑もあります。
しかし芭蕉の句集には見当たらない俳句とのこと。
湯浴地蔵、鉄地蔵
鎌倉街道沿いの地蔵院には、鎌倉時代のころに鋳造されたと伝えられる、高さ2.3メートルの鉄地蔵があります。
「湯浴」は、湯を浴びせて祈願したことに由来するそうです。
戦災と伊勢湾台風によって被害を受け、修復されています。
尾張六地蔵
湯浴地蔵は、尾張六地蔵の三番目札所にあたります。
「六地蔵巡り」という風習は、江戸時代の「尾張名所図会」にも登場しています。
- 第一番・・・長光寺(稲沢市六角堂東町)
- 第二番・・・清浄寺(名古屋市中区大須)
- 第三番・・・地蔵院(名古屋市南区呼続町)
- 第四番・・・如意寺(名古屋市緑区鳴海町作町)
- 第五番・・・地蔵寺(名古屋市天白区島田)
- 第六番・・・芳珠寺(名古屋市千種区今池)
鎌倉街道
鎌倉街道とは、鎌倉幕府のあった鎌倉へ続く道路網のことです。
御家人が「いざ鎌倉」と駆けつけた道でもあります。
南区内では、湯浴地蔵、白毫寺の脇を通っています。
新しい道標が建てられています。