南区・鳥栖周辺は、笠寺台地の上にあります。
笠寺台地は、かつては「松巨島」と呼ばれる島でした。
鳥栖周辺には、古墳やお寺などの古い史跡があちこちにあります。
- 成道寺と鳥栖城
- 成道寺石仏
- 鳥栖八劔社古墳
- 鳥栖神明社古墳
2つの古墳は、どちらも形がはっきり残っています。
地名の由来
鳥栖の地名は、かつてあったとされる鳥栖城から来ています。
鳥栖城の跡は、南区鳥栖町二丁目にある成道寺というお寺となっています。
成道寺と鳥栖城
成道寺は曹洞宗のお寺で、鳥栖城跡に建てられている、とのことです。
鳥栖城主の成田一族は、赤塚の合戦で織田信長と戦った鳴海城主・山口氏の家臣です。
山口氏は、もともと織田信秀(信長の父)の家臣でしたが、信長の代になって、駿河の今川義元に寝返りました。
赤塚の合戦は、織田信長が当主となって最初の合戦といわれ、勝敗はつかなかったそうです。
成道寺には、城主の成田氏夫妻の墓碑の刻まれた石仏があります。
成道寺石仏
成道寺の墓地にあった「夫婦地蔵(めおとじぞう)」と呼ばれる地蔵2体が、境内の祠に安置されています。
永正年間(1515年)と刻まれており、市内では最も古い銘文です。
銘文の中の鳥栖は、このあたりの地名で、これが現在の鳥栖の名前になっているとのことです。
鳥栖八劔社古墳
この鳥栖八劔社古墳は、直径45メートル、高さ5メートルの帆立貝形前方後古墳で、名古屋市内で2番目に大きな円墳ということです。
鎌倉街道に隣接しています。
築造時期
気になるのが、鳥栖八劔社古墳の築造時期です。
出土した土師器の特長から、築造時期は、4世紀末~5世紀前葉と推定されている、とのこと。
八劔社
また鳥栖八劔社古墳の上には、熱田神宮別宮の八劔社が祀られています。
看板の説明によると、八劔社は、和銅元年(西暦708年)熱田神宮の草薙剣が盗難に遭い、これが帝に知られることを恐れたため、レプリカを新しく作ることをにして、この土地で制作した、という伝承があります。
ひょっとしたら、草薙剣にゆかりのある場所かもしれません。
鳥栖神明社古墳
鳥栖神明社古墳は、笠寺台地の中央のやや北寄りにある直径30メートル、高さ3.5メートルの円墳です。
古くは大塚と呼ばれていました。
発掘調査は行われていないため、年代は不明です。
鳥栖神明社
古墳の上に祀られた鳥栖神明社は1771年の創建となっています。