室町時代末期から、尾張地方の歴史が大きく動きます。

すなわち、尾張国守護の斯波氏から、その家臣だった守護代・織田氏への実権の移行です。

鎌倉・室町幕府を支えた守護制度の終焉と、足利家の名門・斯波氏について、まとめました。

権威(斯波)と実力(織田)

室町幕府の権威が失墜した応仁の乱(1467年-1477年)以降、尾張では次のような構造が成立していました。

  • 守護(斯波氏)= 幕府任命の名目上の国主
  • 守護代(織田氏)= 在地で軍事・行政を担う実力者

すなわち、権威の斯波氏と実力の織田氏という関係です。

というわけで、斯波氏から織田氏への実権移行のプロセスを、五段階に分けてまとめました。

① 守護の弱体化(15世紀後半)

尾張守護は、斯波義重以来、下津(愛知県稲沢市)から清洲(愛知県清洲市)へ守護所を移転し体制を整えました。

しかし、

  • 在国支配は守護代に依存
  • 尾張国内は織田一族が分裂
  • 統制力が徐々に低下

守護の地位は、次第に象徴化していきます。

② 軍事的威信の崩壊(1515年)

守護の斯波義達 は、斯波氏のライバル・今川氏が支配する遠江(静岡県)へ出兵します。

しかし、今川氏の軍勢に大敗して遠征は失敗に終わり、幼少の斯波義統が、代わりに守護に就任します。

結果として、

  • 守護の軍事的威信が崩壊
  • 実権は守護代・織田大和守家へ

守護は、織田大和守家の「傀儡」に近い存在へと変化します。

③ 織田内部の再編(1530–40年代)

尾張の織田氏は三系統に分かれていました。

  1. 岩倉(伊勢守家)
  2. 清洲(大和守家)
  3. 弾正忠家(大和守家の家臣・織田信長の一族)

この中で台頭したのが、弾正忠家の織田信秀(信長の父親)です。

織田信秀は、守護代よりも低い奉行の地位にありながら、

  • 津島・熱田の経済力を掌握
  • 美濃・三河へ軍事拡張
  • 尾張最大勢力へ成長

こうして、守護の存在はさらに空洞化して行きます。

④ 決定的事件(1554年)

守護の斯波義統が、清洲城主で守護代の織田信友により殺害されます。

ここが転換点となります。

  • 形式上の主君を弑逆
  • 守護体制の権威が崩壊

制度としての「守護」が終焉したことになります。

⑤ 信長による再編(1555年以降)

ここで登場するのが織田信長です。

信長は、

  • 「守護の仇討ち」を大義名分に清洲へ進軍
  • 信友を討伐
  • 尾張統一を進める

ここでポイントは、織田信長は、守護を否定して登場したのではなく、 守護を守る側として登場した、という点です。

斯波一族はどうなったのか?

中心人物は、武衛家(斯波家の別称)最後の当主・ 斯波義銀です。

① 信長の庇護下へ

  • 義統の殺害後、義銀は信長に保護される
  • 形式上の守護として存続
  • 守護は「外交カード」化

② 反信長計画と追放

  • 義銀は今川氏らと結び信長追放を図るが失敗。
  • 尾張守護・斯波氏の実質的な終焉。

③ 和解と改姓

  • 信長と和解
  • 「斯波」を避け、津川義近と改名
  • 娘を織田一門に嫁がせる

④ 秀吉政権下

  • 足利義昭らと並ぶ御伽衆
  • 公家成を認められる
  • 外交役を担う
  • しかし政治権力は回復せず

以上が、室町末期から戦国時代にかけて、 尾張で起きた出来事の大まかな流れです。

斯波氏ゆかりの歴史スポット

斯波氏の足跡をたどれる主な歴史スポットを挙げます。

  • 清洲城(清須市)
    • 1405年、斯波義重が築城
    • 1478年頃、守護所移転
    • 尾張守護の象徴的拠点
    • 現在は模擬天守と展示施設あり
  • 下津城跡(稲沢市)
    • 室町期初期の守護所
    • 文明の乱で焼失
    • 清洲へ移転する前の本拠
  • 岩塚城跡(名古屋市中村区)
    • 斯波一族・吉田重氏の居城
    • 現在は寺院境内に石碑のみ
  • 小林城跡(名古屋市中区)
    • 斯波一族・牧氏の居城
  • 地蔵寺と島田城跡(名古屋市天白区)
    • 斯波一族・牧氏の居城